今回の人生で最後のチェロキーのブログ
こんばんわ。
とりあえずまちんたです。
チェロキー閉店から6日経ちましたが、皆さんはいかがおすごしですか?
僕たちは、片付けに追われながらも、店の中が何もなくなるにつれ、胸がいっぱいでせつない気持ちで生活しています。
今日このブログが最後になる前に、皆様の、携帯、パソコンのお気に入りから消える前に、
3人から大木、工藤、町井から、一言書きたいと思います。
とりあえず閉店日に、オープン日にとった写真と同じポーズでとってみました☆彡


いやあ2年経って、体重が変わったり、髪が薄くなったりはありますが、大事なものは変わっていない気がします。
余談はここまでにして、
まずは、3人目の刺客、ごみ捨て担当、皿洗い担当降板、喜びの舞でおなじみの、さとし大木から、お言葉を頂戴したいと思います。
こんばんみー☆彡 (^o^)/みんな大好き三陸わかめのサトシで~す!!!
ブログ書くの一年半ぶりです。
神崎町に来て、はや2年以上経ち俺の人生においても一生忘れることのない経験をして、まず、くうと、しょうたくんにありがとうございますと伝えたいです。共に働き、共に過ごし家族そのものでした。
正直、良いことも悪いこともあって大変で疲れました。でも、そんな時に2人の前向きな考え、積極的な行動力、どんな状況であっても的確な指示をくれて、とても頼もしかったです。 時に厳しく、時に優しくサンキュー★
楽しかったよ(n‘∀‘)η
そして、チェロキーで出会った仲間たち、お世話になった方々にも本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
さよならは言いません。だって、俺たちまた会うじゃん!!!
これこらもよろしくお願いします(*´∀`*)
チェロキーという地元の友達と立ち上げた飲食店なのか、みんなの家なのか、夢のような日々を過ごせて、良かったです。
個人的にも、自信がつき強く、明るく、楽しく生きていきたいと思います。 フォークリフトまんせ~(^▽^)
チェロキーありがとう。 神崎町ありがとう。 喜びの舞ありがとう。 大木 聡\(^o^)/
えー続きましてこんばんは。
明日中学ん時の同窓会があり、「久しぶりー!今何してんの?」っつー同窓会あるあるで
ニート!!
って答える事になってます工藤です。
ということで、ついに終わってしまいましたCHEROKEEですが、最近片付けをしながらどんどんお店の中がカラッポになるのを見て寂しい気持ち半分、実感が湧かないの半分でございます。なんかガチで振り返るとホントにいろんなもんがこみ上げて来そうなんがものっそい怖いんですよね~。笑
振り返ってみると本当に思い出だらけで、2年間っていうのが一瞬だったような、でも神崎にいたのはもっと凄い長い時間だったような‥伝えづらいんですけどそんな感じです。そん位来てくれた人と仲良くなれた事は僕にとって物凄いありがたかったです!このつながりは今後ますます輝いて、これからずっと、きっと墓場まで続いていく事でしょう!!
て気持ちなんで!これからもみなさん!どうか!あぁどうか!笑 僕らをよろしくお願いしまっす!とりあえず第一章終わりって事で、みなさんほんとにありがとうございました!!
工藤 明宏
最後になりましたが、
マチンタです。
思い出せば、消防署勤務の勤務時間外の深夜に、大阪の古着屋にいる工藤さんに「なんか熱いことしねえ?」「てか店やらねえ?」「返事はいつくれる?」「俺は辞めて絶対に店やる!!」と電話で話した事がすべての始まりだった。
大木さんからは、「俺はやっぱり一緒にはできない」「しょうたくん頑張ってよ!!」と断られ。
なにもない店に始めてきたとき、カンカンからは、「まじでこんなとこで店やんの?」「人歩いてないよ」「来る時、ずっとハイビームだぜ」。
心配要素だらけを。
正直、店を開店してこのような形で終われることは、想像もしなかった。
仲間、お客様に恵まれすぎた。
ほんと感謝感謝です。
それと同時に、「やればなんでもできる」をはっきりと証明でき、自信にもなりました。
最初は、料理すらしたことない3人があつまり、「勝利へのレシピ」とか作って、みんなで朝まで料理合宿したり。
スパゲッティ1日100食位作って、特訓したり。
最初は、大さじ、小さじ、ってなんだ?どれくらいだ?ウィキペディアでしらべんべ。とかいいながら。笑
ほんとに夢のような2年間でした。
最後、塗装を全部して、荷物をすべてだし2年前と同じような状態にし、鍵を大家さんに私、ここをさる瞬間。
僕の、甘酸っぱい青春が、そこで幕を閉じます。
自然と涙がこみあげてくるんだろうな。
本当にいろいろあったからなあ。
今後、僕の人生は、行き先のない、線路のない、世界の車窓の電車のように、好きなところで好きな人と仲間と、好きなことして生きていこうと思います☆彡
これから先、
2年間やっていたお店はどうだったんですか?経営はうまくいったんですか?
と聞かれることがあったら、
僕はこういいます。
「とてつもない財産に恵まれとても幸せでした。」
「そんなに稼いでたんですか?年収は?」
「そうですね~~~~、財産とはお金じゃなくて、人という財産なんですよね~」
「そうですね~年収にすると~~。1兆円でも足りないくらいじゃないですかね。笑」
という感じで、ちょっと臭いかんじになりましたが、
CHEROKEEは永久に、閉店することはありません。
なぜならば、永久にみなさんの心の中にあるからです☆彡
それではみなさん、長くなりましたが、今まで2年間ありがとうございました!!!
神崎バンザイ!!!!!
チェロキーやろう言いだしっぺ 町井 礁太
とりあえずまちんたです。
チェロキー閉店から6日経ちましたが、皆さんはいかがおすごしですか?
僕たちは、片付けに追われながらも、店の中が何もなくなるにつれ、胸がいっぱいでせつない気持ちで生活しています。
今日このブログが最後になる前に、皆様の、携帯、パソコンのお気に入りから消える前に、
3人から大木、工藤、町井から、一言書きたいと思います。
とりあえず閉店日に、オープン日にとった写真と同じポーズでとってみました☆彡


いやあ2年経って、体重が変わったり、髪が薄くなったりはありますが、大事なものは変わっていない気がします。
余談はここまでにして、
まずは、3人目の刺客、ごみ捨て担当、皿洗い担当降板、喜びの舞でおなじみの、さとし大木から、お言葉を頂戴したいと思います。
こんばんみー☆彡 (^o^)/みんな大好き三陸わかめのサトシで~す!!!
ブログ書くの一年半ぶりです。
神崎町に来て、はや2年以上経ち俺の人生においても一生忘れることのない経験をして、まず、くうと、しょうたくんにありがとうございますと伝えたいです。共に働き、共に過ごし家族そのものでした。
正直、良いことも悪いこともあって大変で疲れました。でも、そんな時に2人の前向きな考え、積極的な行動力、どんな状況であっても的確な指示をくれて、とても頼もしかったです。 時に厳しく、時に優しくサンキュー★
楽しかったよ(n‘∀‘)η
そして、チェロキーで出会った仲間たち、お世話になった方々にも本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
さよならは言いません。だって、俺たちまた会うじゃん!!!
これこらもよろしくお願いします(*´∀`*)
チェロキーという地元の友達と立ち上げた飲食店なのか、みんなの家なのか、夢のような日々を過ごせて、良かったです。
個人的にも、自信がつき強く、明るく、楽しく生きていきたいと思います。 フォークリフトまんせ~(^▽^)
チェロキーありがとう。 神崎町ありがとう。 喜びの舞ありがとう。 大木 聡\(^o^)/
えー続きましてこんばんは。
明日中学ん時の同窓会があり、「久しぶりー!今何してんの?」っつー同窓会あるあるで
ニート!!
って答える事になってます工藤です。
ということで、ついに終わってしまいましたCHEROKEEですが、最近片付けをしながらどんどんお店の中がカラッポになるのを見て寂しい気持ち半分、実感が湧かないの半分でございます。なんかガチで振り返るとホントにいろんなもんがこみ上げて来そうなんがものっそい怖いんですよね~。笑
振り返ってみると本当に思い出だらけで、2年間っていうのが一瞬だったような、でも神崎にいたのはもっと凄い長い時間だったような‥伝えづらいんですけどそんな感じです。そん位来てくれた人と仲良くなれた事は僕にとって物凄いありがたかったです!このつながりは今後ますます輝いて、これからずっと、きっと墓場まで続いていく事でしょう!!
て気持ちなんで!これからもみなさん!どうか!あぁどうか!笑 僕らをよろしくお願いしまっす!とりあえず第一章終わりって事で、みなさんほんとにありがとうございました!!
工藤 明宏
最後になりましたが、
マチンタです。
思い出せば、消防署勤務の勤務時間外の深夜に、大阪の古着屋にいる工藤さんに「なんか熱いことしねえ?」「てか店やらねえ?」「返事はいつくれる?」「俺は辞めて絶対に店やる!!」と電話で話した事がすべての始まりだった。
大木さんからは、「俺はやっぱり一緒にはできない」「しょうたくん頑張ってよ!!」と断られ。
なにもない店に始めてきたとき、カンカンからは、「まじでこんなとこで店やんの?」「人歩いてないよ」「来る時、ずっとハイビームだぜ」。
心配要素だらけを。
正直、店を開店してこのような形で終われることは、想像もしなかった。
仲間、お客様に恵まれすぎた。
ほんと感謝感謝です。
それと同時に、「やればなんでもできる」をはっきりと証明でき、自信にもなりました。
最初は、料理すらしたことない3人があつまり、「勝利へのレシピ」とか作って、みんなで朝まで料理合宿したり。
スパゲッティ1日100食位作って、特訓したり。
最初は、大さじ、小さじ、ってなんだ?どれくらいだ?ウィキペディアでしらべんべ。とかいいながら。笑
ほんとに夢のような2年間でした。
最後、塗装を全部して、荷物をすべてだし2年前と同じような状態にし、鍵を大家さんに私、ここをさる瞬間。
僕の、甘酸っぱい青春が、そこで幕を閉じます。
自然と涙がこみあげてくるんだろうな。
本当にいろいろあったからなあ。
今後、僕の人生は、行き先のない、線路のない、世界の車窓の電車のように、好きなところで好きな人と仲間と、好きなことして生きていこうと思います☆彡
これから先、
2年間やっていたお店はどうだったんですか?経営はうまくいったんですか?
と聞かれることがあったら、
僕はこういいます。
「とてつもない財産に恵まれとても幸せでした。」
「そんなに稼いでたんですか?年収は?」
「そうですね~~~~、財産とはお金じゃなくて、人という財産なんですよね~」
「そうですね~年収にすると~~。1兆円でも足りないくらいじゃないですかね。笑」
という感じで、ちょっと臭いかんじになりましたが、
CHEROKEEは永久に、閉店することはありません。
なぜならば、永久にみなさんの心の中にあるからです☆彡
それではみなさん、長くなりましたが、今まで2年間ありがとうございました!!!
神崎バンザイ!!!!!
チェロキーやろう言いだしっぺ 町井 礁太
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